Psyentific Blog - 16の性格

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自分・他人の性格を詳しく分析する方法を知りたい人の為に

「愛」とは何か

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出典:https://uranaitv.jp/content/7314

 

愛とは何か。今まで多くの人が考え、導き出した数々の答え。これに関する議論は尽きないでしょう。

 

「他人の為に何かをすること」「好きな人に尽くすこと」「大切な人を守ること」

 

人の数だけ解釈があっても不思議ではありません。正しい解釈、間違った解釈、なんてものも存在しないでしょう。

 

今回は自分が思う「愛」の定義についてお話します。

 

psycjunkie.hatenablog.com

 

上記の記事で「自分を愛すること」について話しましたが、この記事での「愛」は少し意味が違います。厳密には「他人を愛すること」と言ってもいいかもしれません。

 

一見性格分析に関係ないように思うかもしれませんが、愛は今後解説していくHuman Nurtureに関連しているので、重要な話になります。今後、自分のブログで使う愛の意味は、これから紹介する定義に基づきます。

 

 

 

 

誰かを愛するとはどういうことか

 

自分の思う愛。それはズバリ「見返りを求めない、他人の為の行為」だと思います。見返りとは何も金銭的なリターンや、将来的な恩返しだけではありません。

 

「感謝して欲しい」「自分のやったことを気付いて欲しい」

 

これらも見返りに含まれると考えています。何故ならこういった思いがある以上、あなたは相手に「期待」しているからです。自分はこんなことをした、だから相手にも○○して欲しい・思って欲しい。この時点で、あなたの行為は愛ではないと思います。それは「親切」といった言葉の方が適切でしょう。

 

一つ注意して欲しいのが、愛を与えた対象から報酬(感謝なりお礼なり)を受け取ってはいけない、という訳ではありません。あくまで「自分が見返りを求めた・期待していたか」であって、相手がどう対応したかによって愛が愛でなくなることはありません。

 

つまり、愛とは行為の対象の為「だけ」に行われるものでなくてはいけません。その行為によってどれ程自分が傷付こうが、どれ程の対価を払おうが、関係ない。相手の幸せや利益の為だけに行われる行為だと自分は思っています。そういう意味で、「恋人の為に死ぬ」というのは究極の愛だと感じます。危機的状況で恋人の為に命を投げ出す行為は当然自分には何のメリットも無く、相手の命だけを尊重している訳ですからね。

 

よく聞く「家族愛」も愛の形の一つです。親は子供を産んで育てることで家庭を築いた訳ですが・・・。親にとって直接的なメリットはあるのでしょうか?殆どの場合無いですよね。子供を育てる為には精神的にも金銭的にも多大なコストを支払い続けます。衣食住を与え、学校に行かせ、就職するまでサポートし続ける。自分の子供が幸せになれるよう、身を粉にして援助するわけです。それも何の見返りもなしに。

 

そうして独り立ちした後に、親が得るメリットは精々「孫の姿を見る」なり「老後の面倒を見てもらう」程度です。とても費用に釣り合っているとは思えません。そういう意味で上記の様な子育ては愛であり、「子供を愛することが出来る親」は尊敬されるべき存在なのです。

 

まとめ

 

「愛している」という言葉は容易く言って良い言葉だとは思いません。本来、人を愛することはとても難しいことです。自分の資源や労力を無償で誰かに提供する訳ですからね。ある程度の成熟さ、そして自分と他人を支えられるだけのリソースが無ければ、他人を愛することは出来ないでしょう。

 

そういう意味で、全ての人間を愛することは不可能です。多大なコストがかかるからこそ、愛を与える相手は慎重に選ぶべきです。なので、付き合ってそうそう愛を誓ったりする輩は信用するべきではありません。