Psyentific Blog - 16の性格

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自分・他人の性格を詳しく分析する方法を知りたい人の為に

今の社会は「父親」を必要としている

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出典:https://m12.jp/yu-134.html

 

「人は成熟しなければならない」

 

自分はこれまでブログ・質問箱で何度もそう言ってきました。ただ、何故人が成熟し大人にならなくてはならないのか。具体的な理由を挙げたことはありませんでした。

 

今回は現在社会が抱える問題、それがどうHuman Nurtureに関係しているのか、そしてどういう過程で精神的な成長を迎えるべきなのか。これらについてお話します。

 

これから先を読んで頂く際、一つ留意しておいて下さい。男・女、父親・母親。こういった言葉が何度も出てきます。ただ、これらは「性別」を指しているのではありません。あくまで「男性的」だったり、「母親的」という意味です。

 

 

 

 

現代社会に足りないものは「父親」

 

日本だけでなく、多くの先進国が今抱えている問題の一つ。それは「父親がいない」ということです。勿論これはシングルマザーが多いだとか、片親で育つだとか、そういった意味ではありません。「理想的な父親」となる存在がいないということです。

 

では理想の父親とはどんな存在か。それは「高潔」な人間です。高く、潔く。文字通り、高潔な人間とは信念を持って、自他を常に高みへ導き、結果他人から尊敬される。そんな人を指します。

 

では具体的に高潔な父親とはどんな存在なのか。それは自分自身が「他人の指標」となっている、そんな人だと自分は思います。常に自信と威厳を持って生き、信念を曲げない。怠けたり停滞することを知らず、常により良い自分を目指す。そして自分が前進する過程で、自分の後に続く者(妻や子供等)に資源を提供し、成長を促す。高潔な人は、ただ存在し自分に正直であることで一目置かれ指標となります。

 

個人的な話をすると、自分は自分の父親を高潔な人だと思っています。自分は今まで「こんな人間になれ」だったり、「こういうことをしろ」等、生き方を指図・提示されたことは一度もありません。稼ぎや成し遂げた業績といった自慢話も聞かされたことはありません。つまり、父は私の生き方に殆ど干渉していませんし、自分がいかに偉大か等、伝えたことも無いのです。

 

それでもいつしか、自分は父親のような人間になりたいと思っていました。もっと言うと、いつか父を超えるような人間になりたいと。それは父が高潔だったからです。ただ自分らしく生きるだけで、他人の指標となり高みへ導く。「男は背中で語る」と良く言いますよね?父親に求められる高潔さとは、こういうことなのです。

 

勿論高潔さは母親的な存在にも求められます。ただ、母親の高潔さは父親のそれとは意味が違うと自分は思っています。母親にとっての高潔さ、それは「傍にいる」ことです。家に帰れば母親が待っている。日々家事をし、食事を用意し、家族の面倒を見る。困ったことがあれば、すぐに相談出来る。高みを目指す父親や子供達をどんな時でも見守りサポートする。これが母親的な高潔さではないでしょうか。

 

先述したように、父・母というのは性別に囚われるものではありません。男性が母親の役目を全うすることに何の問題もありませんし、逆もまた然りです。ただ、「両方」必要なのです。社会や家庭において、どちらも欠けてはいけないのです。

 

しかし現状、明らかに父親的存在が欠如しています。ニートが増えたり、男がATM扱いされたり、自堕落な生活しか送っていなかったり。何の目標意識もプライドも無く、自他を尊敬することもなく、ただただ毎日を過ごす。これで誰かの指標になることなど不可能です。本来、こんなことはあってはならないのです。

 

個の喪失から始まる負のスパイラル

 

何故こんなことになってしまったのか。最大の理由は「個の喪失」ではないでしょうか。近年では自分らしく生きることが、あたかも悪いことであるかのように扱われます。周りに合わせなくてはいけない。目立ってはいけない。少しでも「普通」とされることからかけ離れたことをすると、袋叩きにあう。

 

正論や批判に対する過剰なまでの嫌悪も関係しているでしょう。少しでも他人の間違いを正そうとすると、やれモラハラだの非情だのと叩かれる。上司や目上の人に盲目的に従わなければ、首を飛ばされる。輪から外れる恐怖から、誰も言いたいこと言う・やりたいことやることを許されない。

 

これでは誰も自分を愛せないし、他人を尊敬できないのも致し方ありません。その結果生まれるのが自分に価値を見出せない人達。自分が存在する意味が無いと感じるから、誰も高みを目指したり他人の指標になろうとする気が起きない。高潔な人間が生まれない。

 

仮に自分に価値があると信じることが出来たとしても、他人を見下す人もいます。近年よく聞く「大人の発達障害」等は良い例でしょう。男を女より偉大なものとする「家父長制」や、本来の意味とは外れ男卑女尊を謳う「フェミニズム」もこれに該当します(本来フェミニズムとは女性と男性の平等を謳うものなので)。本当の意味で自分をリスペクト出来ないからこそこういった驕りが生まれてしまうのです。

 

いずれにせよ、個の喪失は多くの未熟な人を生みました。未熟な人しかいないから(特に父親的に成熟した人)、未熟な人同士で家庭を作るしかない。そこで育つ子供もまた理想的な「父親」や「母親」に出会えず、未熟なまま大人になっていく。このサイクルが延々と繰り返されているのです。

 

何をすれば成熟した人間になれるのか

 

こういった問題を解決するには、皆が大人になる以外の方法はありません。そこで重要になってくるのが「Human Nurture」です。人の性格を16種類に分類し、理論的に人を分析するのがHuman Nature。対してHuman Nurtureは人が経験等を通してどう成長していくのかを説いています。どちらも人を理解する為・成熟する為に必要です。

 

Human Nurtureには大きく分けて3つのステージがあると思っています。これらは順番に満たされる必要があり、全てを満たしたとき、人がNurture的に「成熟した」と言えるでしょう。下記が各ステージです。

 

  1. セルフリスペクト
  2. 4つの柱
  3. Mature Masculine・Feminine 

 

1番目は既に知っている方も多いでしょう。自分が何度も言ってきた、「自分を愛せ」という話です。これは自分の長所と短所を理解し、自分を受け入れる。そして自分以外の人間も理解し、リスペクトすることを指します。これが無ければそもそも話が始まりません。

 

psycjunkie.hatenablog.com

 

2番目は「一人の人間として」大人になる際に必要となります。自立し、自分を律し、接する人を選ぶ。これらなくして一人前とは言えません。

 

psycjunkie.hatenablog.com

 

3番目は今後詳しく解説していく、「男性・父親として成熟する」「女性・母親として成熟する」際に必要になります。個としてでなく、他人と男女関係を築く為のものです。男女の関係がどう成立するのか、そしてどうすれば男性・女性的な魅力を得られるのか。こういったことを主に取り扱います。

 

psycjunkie.hatenablog.com

 

 

まとめ

 

現代社会に成熟した、高潔で尊敬出来る人間が少ない。これはHuman Nurtureを学ぶことで解決されるべき問題です。自分自身、そして自分の後に続く者達の為にも、全ての人が取り組まなくてはならないことだと自分は思います。