Psyentific Blog - 16の性格

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自分・他人の性格を詳しく分析する方法を知りたい人の為に

男と女に違いはあるのかー性格分析との関係性

 

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出典:http://okeya-life.com/1386

 

自分はこれまで、「男は尊敬を求めている」や「父親的存在は人の指標となるような高潔さを持つべき」等、「人の成熟(Human Nurture)」に関する記事を書いてきました。今後もこのトピックの延長線上にある「理想的な男性像」「理想的な女性像」等について解説するつもりです。

 

ただ、こういった記事を読んで疑問に思った方もいるでしょう。「何故男と女で成熟の仕方・理想像が違うのか」と。わざわざ分けずに、一つに統合すれば良いのではないか。時代遅れなジェンダーロールを押し付けているのではないか。

 

こういった疑問や誤解を解消するべく、今回は人の成熟に関する重要な前提を明確にします。具体的に言うと「男と女は違う存在」だということ。自分が紹介している性格分析の生みの親であるユング、そしてそれを基にHuman Nurtureを形作ったジョーダン・ピーターソン氏とCS Joseph氏。彼らが今ある結論に至ったのは、男性と女性には大きな違いがあると感じたからに他なりません。

 

実際に解説に進む前に一つ、留意して欲しいことがあります。これから男女の違いに関する統計・データを紹介しますが、自分はそれらを基にジェンダーロールを押し付けるつもりは一切ありません。「男は必ずこういう考え方をする」だったり、「女は必ずこういうことが好きだ」等と言うつもりも無く、あくまで「こういう傾向がある、だからこういう考えが生まれた」と伝えたい。それだけです。

 

過去のHuman Nurture記事:

 

psycjunkie.hatenablog.com

  

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男性は競争の中で生き、女性は調和の中で生きる

 

MBTIやユング心理学の他にも数々の性格分析は存在しています。中でも著名なものの一つ、「ビッグ5」。これは人の性格を5種類のパラメーターによって区別するものです。各パラメーターにはスコアがあり、高ければ高い程その項目が示す性質を強く持っているということになります。ただ高ければ良い、という訳ではなく、あくまで性質の違いでしかないということは留意して下さい。MBTIでいうT型かF型か、の様なものです。

 

ビッグ5は心理学者たちの間では多くの支持を得ているようで、それだけ研究や統計が頻繁に行われています。男女の違いを説明する為の根拠の一つは、このビッグ5に基づいています。

 

5つの項目の1つに、「Agreeableness」というものがあります。簡単に言えば「協調性」ですね。数々の統計、それも複数の国で集められたものによると、この項目で高いスコアを持つのは女性が多いそうです。これが意味することは、女性は協調性の高い人が平均的に多く、それだけ他人との調和を望み、気を遣い、共感性が高いと言うこと。

 

対して男性はこの項目のスコアが女性に比べ低い傾向がある。なので自分の願望に忠実だったり、他人と競い合ったり、自分の利益を追求することにあまり抵抗がないと言えます。

 

また別の項目では「Neuroticism」というものがあり、「神経質」「心配性」といった風に捉えられます。こちらも女性の方が高い数値が出やすいようで、男性に比べ細かい部分に目を配ったり、些細な変化・刺激に敏感という傾向があります。対して男性は女性に比べ図太く、肝が据わっている場合が多い。

 

「Conscientiousness」という項目にも男女差が現れています。これは自己規律・効率・功績への拘りといった一面を生み出す要素だと考えられており、男性の方が高いスコアを所持しがちです。つまり男性は仕事や課題に対して完璧主義であったり、結果・成果を何より重要視する傾向があるということ。 

 

ここまで読んだ方の中には疑いを隠せない人もいるでしょう。「本当なのか」と。ビッグ5が「正しい分類法か否か」は置いておきます。性格分析は未だ証明出来る学問とは言えませんからね。ただ、上記のデータが示す一貫した傾向は、ある程度現実での男女差を説明出来るものではないでしょうか。

 

男女差という話題で必ず挙がるのが仕事での差。社長やCEOは勿論、部長や幹部等の管理職に就いているのは男性が圧倒的に多いというデータは数多く存在しています。平均的に女性の収入が男性より低いというのもよく聞きます。確かに女性に対する差別等、不当な理由が多少は関与しているとは思います。が、恐らくこれはごくわずかな影響しか与えておらず(理由は後述)、大きな違いはビッグ5が示すような「性格・価値観の違い」に基づいたものなのでは。これが自分のスタンスです。

 

どんな企業・職場でも、のし上がって地位を獲得する為には競争は避けて通れない道。出世するということはそれだけ他人を蹴落とし、多くの場合傷付けてしまう。Agreeablenessが低くConscientiousnessが高い男性にとって、出世することはそれ程自分の価値観に背くことではないのでしょう。他人の感情や気持ち以上に、成果や利益といったものを重視する訳ですから。

 

しかしAgreeablenessが高く・Conscientiousnessが低いとされる女性にとって、男性の様に割り切ることは難しいことが多いのではないでしょうか。他人を傷付け調和を乱すぐらいなら、自分が割を食おう。控えめになろう。この違いが職や収入の差に反映されているのでは、と思います。

 

仕事以外だと人間関係においても男女差は存在しているとよく言われますね。男性は悩みを打ち明けない、弱みを見せない。社会的な価値観による影響(男は強くあるべき、等)は否めませんが、これもまたビッグ5の統計で説明出来る。先ず弱みを見せる=自分の地位を揺るがすことに繋がります。これは確実に自分の不利益になります。そして何より周りの男性の協調性が低いということは、悩みを打ち明け悲しみを見せたところで同情・共感される可能性は低い。つまり相談するメリットや意味が薄いのです。

 

対して女性の場合、女同士で慰めあったり話し合うのは有名な話でしょう。これは実際かなり研究・実証されていることでもあります。高い協調性を持っているからこそ他人を放っておけない。苦しみや悲しみを分かち合うことでなるべく調和を保つ。他人の動向にも目を凝らし、傷付いた人を察知するというのはある意味「心配性」とも言えるでしょう。

 

この様に自分はビッグ5に関する研究結果は、それなりに的を得ていると感じます。少なくとも男性と女性、それぞれが持つ性質の違いや傾向を捉えている。

 

男女の格差を無くした社会では何が起こるのか

 

先程職場における男女差の殆どは不当な理由によるものではない、と言いました。これを示すデータは存在しています。

 

2018年、とても興味深い研究が発表されました。スカンジナビアというヨーロッパ地域で大規模な調査が行われ、男女の就職先に関するデータが集められたのです。

 

この地域にはスウェーデンデンマーク等の国が存在しており、先進国の中でも特に「男女の格差」が少ない国が集まっているとされています。これは当然就職にも当てはまり、皆が平等な権利・選択肢を与えられます。

 

さて、このような格差が存在しない社会なら、男女間で就く仕事にそれ程大きな違いは見られない筈ですよね。他の先進国では少ないとされている女性の管理職やSTEM(科学・数学・工学等、所謂理系分野)での研究者は男性の数に匹敵する筈。

 

しかし、結果は予想を大きく裏切りました。男女別の職種の違いは他の先進国より大幅に開いたのです。「女性にも自由に職を選ぶ権利があった」にも拘わらずです。

 

これが意味することは何か。やはり男性と女性には性質的な差があり、その存在は自然だということ。選択肢を平等に与えられても尚、男性と女性が好む生き方・価値観には差があるということでしょう。

 

男女の違いが理想像の違いへ

 

紹介したデータが示すように、男女には明確な差があります。上記に限らずこういった研究データはごまんとあります。無論これはどちらかが優れている、劣っている訳では無く、単純に違いがあるというだけのこと。

 

そして差があるということは男性と女性は同じ存在ではない。同じではない以上「男性的な魅力」と「女性的な魅力」は別物ということになります。例えば動物で考えた時、家畜の牛に求められる要素と競走馬に求められる要素は違いますよね?牛なら牛乳の生産量。馬ならどれだけ早く走れるか。魅力的な牛と魅力的な馬はイコールではない様に、魅力的な男女もまた違う。これが男女間で成熟する方法や、男女関係で求めるものが違う理由の根底にあるのでしょう。

 

Human Nurtureでは、成熟した男性=男性的な魅力を持つ人は「Mature Masculine」と呼ばれます。成熟した女性=女性的な魅力を持つ人は「Mature Feminine」。最終的に人はこのどちらかになるべきだと自分は思います。

 

ここで一つ、勘違いが無いように言っておきます。先ず、Mature Masculine・Feminine、どちらになるかは「自分で選べる」ということ。過去にも言ったようにこれは性別に囚われるものではありません。男性的な魅力を持つ女性になっても、女性的な魅力を持つ女性になっても、そこに優劣関係は無い。実際調和以上に実績や地位を求める野心的な女性もいるでしょうし、競争を嫌う男性もいるでしょう。これは恥じることでも隠すことでもありません。自分に合うと思う存在になればいい。

 

そしてもう一つは、人はMature Masculine・Feminine、両方の性質を持っておくに越したことはないといこと。例えばMature Feminineになれたのであれば、Mature Masculineにもなれるよう努力すべきでしょう。というより、どんな人にも両方の性質が最低限は必要です。

 

「それならやっぱり分けずに一つにすればいいのでは?」

 

と思うかもしれませんが、恐らく両方を同時に満たすのはかなり難しい。だからこそわざわざ分けられているのでしょう。欲張って二つの魅力を同時に手に入れようとすれば、どっちつかずになって中途半端な存在のまま終わってしまう。これを避ける為にも最初はどちらかに集中し、それからもう一つを達成すべきだと考えています。

 

まとめ

 

今回紹介した男女の違いは一部でしかありませんが、「違いが存在している」ということは伝わったと思います。今後はより具体的、そしてより実用的な面に触れることでHuman Nurtureの真髄をお伝えします。

 

今回の記事に納得がいかない、理解出来ない人もいるかもしれません。そんな人にこそ今後のMature Masculine・Feminineの記事は読んで欲しい。何度も言うようにこれはジェンダーロールの押し付け等ではなく、男女関係を豊かにするもの、強いては家庭を築く上で大いに役立つ考えだからです。